voice移住者の声
移住者が挑戦するリンゴ産業 リンゴへの向き合い方を考える
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永井温子さん(ながいあつこ)福島県郡山市出身
- 移住年
- 2019年4月
- 職業
- リンゴ農家
高校の教頭先生の意見がきっかけで弘前へ
弘前に初めて来たきっかけは、大学受験です。お世話になっていた教頭先生に進学先について相談すると「弘前という街があなたに合っている」とのことでした。リンゴ、桜、縄文遺跡など。地元の郡山とは違った魅力を感じ、弘前大学への入学を決めました。
高校まではずっとバスケットボール部でしたが、「スティールパン部※」という楽器サークルに一目ぼれし、入部したのです。他にも東日本大震災やフランスへの留学など、大学時代にはさまざまな経験をしました。「できないかもしれないけどやってみよう」という意識を身に付けたのが大学時代であり、弘前でした。また、いつか東北地方で会社を興したいという目標を漠然と持ち始めました。
※スティールパン…ドラム缶をへこませて作った打楽器。トリニダード・トバゴ発祥。
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一度は首都圏で就職も、やはり弘前がいい
大学卒業後は首都圏の広告系企業で、営業の仕事をしていました。しかし、東北地方で、より地域に密着した働き方をしたいという思いが消えませんでした。
そんな中、弘前での地域おこし協力隊の募集を発見。「リンゴ農家を増やす」というミッションに広告業界の営業経験を生かせると思い、応募し、無事に地域おこし協力隊になることができました。
リンゴ農家の後継者不足は確かに問題ですが、実際のところどうなんだろう、という疑問がずっとありました。他にもリンゴ産業の課題はあるのではないかと、着任1年目に考え、就農を視野に入れ始めました。
リンゴ農家の現状を知るため、着任2年目からは実際に畑を借り、リンゴ作りを始めています。大変なこともありますが、リンゴの師匠をはじめとした周囲の助けもあり、今まで続けることができました。ちなみに師匠との出会いは、音楽イベントでスティールパンを演奏したことがきっかけです。
大学時代や首都圏での経験は、思いもよらぬところで役立っています。人とのつながりに恵まれたおかげで、新たな活動に挑戦したいと思うことができました。やりたいことというよりは、今の自分にできることを重視しています。
リンゴを作ること以外のリンゴ農家の役割について、考えることがあります。りんごジュースに加工したり、瓶に貼るラベルを作ったり、畑を居場所として提供したり。大学でフランス語を学んでいたので、海外でリンゴを作ったらどうなるか、ということも気になります。
リンゴ農家の多様なあり方を探していきたいです。
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